サークル同期のNさん

Nさんがプロポーズされたと聞いた。

大学のサークルで出会ったNさん。サークルのメンバーの中で一番に伝えたいと思ったと言ってもらえ、嬉しい。

 

大学1年生で彼女の存在を知ったときには、自分とは違うタイプというか、そこまで仲良くなるイメージは湧かなかった。いわゆる名門のお嬢様学校出身の彼女は、大学1年生ながら他の女子よりずば抜けて垢抜けていた。自分を可愛く見せる方法を熟知していたし、その系統も高校生のそれではなく大学生のそれを既に身につけていた。

一緒に活動し、様々なことを話していくと、意外と根は近いのかもと勝手に親近感が湧いたし、サークルの中でも比較的仲良いメンバーとなった。大学を卒業してからも定期的に会うメンバーの一人だ。実際、ノリはだいぶ違うし、キャリアへの考え方やコミュニケーションの取り方がめちゃくちゃ合うと感じたことはない。けれど、彼女の中の何かのプロトコルが、自分と相性良くまわっている。

 

彼女には、大胆さと繊細さが両立している。

24歳になったばかりの時期に全く予想だにしていなかったプロポーズを受け入れる肝の座り方はもちろん、意思決定をする際に"揺らぎ"がない。サークル活動の中でのアクションや、卒業後の進路選択などの大きな意思決定において、彼女は淡々と”これしかない”と思ったものを選択している。”男らしさ”が彼女にはある。

きっと、彼女の中で、確固たる"自分"像があるんだと思う。彼女は、その場のノリに合わせてひょうきんなことを言ったら、その陰で自分に「あの場はそういう場だったからああ言った」とExcuseしてくる。”自分”像に反することを言いたくないし、そう思われたくない。

その一方で、鈍感というわけではない。意外と人の感情の機微を気にする。サークル活動の終盤、彼女の役割的にも少し他のメンバーとの距離が開いてしまった。そんな中で最後の卒業セレモニーに行ってもいいのか、最終日前日に電話で相談してきたことをよく覚えている。もうめんどくさいし会いづらいから行かなくていいや、というわけでもなく、別にどう思われてるかわからないけどとりあえずいこう、というわけでもなく、狭間で悩む彼女は意外にも繊細で、自分が他者からどう思われているのかを気にしている、そんな風に映った。

 

繊細な、おてんば娘。

東京出身ではない自分が東京での生き方を学んで四苦八苦しているうちに、ひょいひょいと人生を前に進めていく。けれど、自分の軸があって、そんな自分の軸を意識するあまり苦しむこともあると思う。

改めて、婚約おめでとう。

今のまま、”自分”を愛し続けて生きてほしい。

BeRealのSNSにおける「コアプロトコル」とは何だったのか

2021年のClubhouse上陸の衝撃を忘れない。毎晩のように触って色んな人の話を聞いて、喋って、盛り上がった。こんなにフラットに喋れるのかという衝撃が、当時緊急事態宣言で飲み会などに行けなく鬱蒼としていた空気を晴らしてくれた。

それから、Dispo、Poparazzi、Bondeeなど、「ネクスSNS」と呼ばれるSNSが世界中で生まれてきた。しかし、あれから2年たった今、生き残ったのはBeRealのみだと思う。

なぜ、BeRealが生き残ったのかを自分なりに推測する。

現代人は「タイミング」が欲しかった

Instagramの投稿はもちろん、ストーリーズですら上げづらい雰囲気になってしまった、から別の形で投稿を上げられるようにしたい、というのが多くのネクスSNSを語る上では外せない文脈だと思う。

Dispoは「加工」というフィルタによって何気ないものでも上げられるように、Poparazziは他者に撮ってもらうようにした。

しかし、BeRealは投稿する「タイミング」を付与した。現代人において、今を共有することで他者とコミュニケーションをしたい、という本能は今も継続して存在しているのだと思う。その上で、いつ上げれば良いんだろう、と悩む工程を仕組みによってなくしてくれたのがBeRealである。

DispoはカメラっぽいUIとすることで投稿しやすくした一方、いつこのカメラを起動すれば良いのかはわかりづらかった。

新しいSNSを使うとなると「使い方がわかりませんが」と言って投稿する人が多いが、撮影タイミングを指定するという仕組みを内包することで何を撮れば良いのかわからない、というユーザーオンボーディングも成功させている。これはすごい。

現代人は「言い訳」が欲しかった

また、タイミングが指定されることでその投稿物のクオリティが下がっていても仕方ないとする「言い訳」が生まれる。

Instagramの投稿のハードルが上がっていく一方、タイミングを強制されているからこそこのクオリティが上がり続けることはない。むしろクオリティが低いほうがリアル、という意味で「言い訳」が存在している。

そばかすフィルターや、目と口が異常に大きくなるエフェクトが流行る原理と近いと思う。(彼女らはあえてとんでもないフィルタをつけることで「かわいくなくても仕方ない」という言い訳を求めている。)

現代人は「繋がりすぎ」に疲れてしまった

これは結果論かもしれないが、Instagramのアカウントをはじめましてでも交換する昨今、Instagramが自分が素を出してコミュニケーションを取れる場ではなくなってきている。

対して、BeRealはよほど仲の良い友達関係ではないと交換しないからこそ、安心して自撮りを掲載できる。

さらに、Poparazziとは違い究極仲の良い2,3人でも繋がっておけば楽しい、という側面もある。人数が少なくても楽しいし使えるからこそスムーズに立ち上がる。

まとめ

このように、BeRealはInstagramをはじめとする既存のSNS心理的な課題を見事に解決することで投稿の活性化に成功したと考えられる。そして、その根本には現代人の「今を共有して他者とコミュニケーションを取りたい」という欲求が存在している。

日々の彩りを失う、ということ

今クールでやっていたドラマ「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」が終わった。

素晴らしかった。(以下、ネタバレ含む)

 

素晴らしい企画とプロットに対して脚本が未熟かも...?ということを途中感じていたが(何様目線)最後の畳み方が素晴らしかった。

何よりも、この少子化の時代に学園モノど真ん中をやること、これからのエンタメ界を担う若手俳優たちが必死で演技しているということに毎回心を奪われた。

 

最終的に、主人公・九条里奈(松岡茉優)を突き落とそうとした生徒・星崎透(奥平大兼)の犯行動機が、九条の抱いていた心のもやもやと共通するものだった(さらには九条里奈の夫の九条蓮とも)、という流れはとても考えさせられた。

気づいたら、大人になって大きな夢を追いかけているつもりではいるものの、そのために小さく積み上げる日々の中で色彩を失っていないか。そしてそんな日常に絶望して積み上げること自体を止めてしまわないか。